高崎です

日々のあれこれを書けるときに書きたいように書いていきます

パンツがわからない ズボン派ですか? パンツ派ですか?

どうも、高崎です。

 

題名の通りです。

パンツがわからないです。

 

皆さんはズボンのことを何と呼称しますか?

パンツですか? ズボンですか?

 

高崎は小さいころから、もっと言うと輪廻転生の輪の中に入っていた時分ですらズボンと呼称していた、由緒正しいズボン派閥の人間です。物心ついた頃にはズボンと呼称し、揺り籠から墓場まで、全ての時間、全ての時空でズボンはズボンと呼称する宿命のもと生を全うすることをズボンの神に誓い、最後はズボンを履いた天使にお出迎えされることを約束されています。

 

そんな高崎とは対照的に、脱ズボンを掲げたズボンの神を恐れない人々も存在するのです。その人々はズボンをパンツと呼ぶことで知られており、俗にパンツ派閥と呼称されます。パンツ派にはパンツ派の言い分があり、それはきっと脱ズボンの旗を掲げるだけの確固たる理由があることでしょう。

 

高崎はズボンをパンツと呼ぶ人々の主張を聞いたことがないので、この件に対して頭から否定するのはおかしいと理解しています。確かに、ズボンは字面にしてみてもダサい感じがしますが、パンツはそんなことがないのかもしれない。

 

だとしても! パンツには問題があると思うのです!

 

例えばですよ、多感な時期の青少年の前で女性がいきなりパンツの話をしだしたらどうなるでしょう。もろ下着のことだと思うはずです。パンツの話をしている当人たちは我々の派閥が指すところのズボンについて熱く議論を交わしているとしても、我々純情で純朴な青少年には刺激が強すぎるのです。結果として、一日中パンツの事が頭を離れず夜も眠れず、外出する際に家の鍵閉めたかどうか不安になるあれと同じような気持ちを抱いたまま、気が付けば還暦を迎えるのです。

 

どうです! パンツという一つのありふれた日常に潜む単語が、未来ある若者の道を閉ざす可能性を孕む危険があることを十分に理解してくれたでしょうか!

 

このような悲劇を生まないために、今こそ! 

パンツ派とズボン派が互いに歩み寄り議論する場が必要なのです。

若者の飽くなきパンツへの探求心を我々が忘れたとしても、若者は忘れないのです。

若者にとってパンツは一つの宇宙であることを我々は忘れてはいけない。